『DonDokoDon年表』(平畠さん話)

ドンドコは存在が不安定(ほぼ解散状態)なためか、あまり詳細が出ていないし、特集もされていない。
だからあまりどういうコンビなのか、どういう足跡を辿ったのか非常に不鮮明なコンビとなっていますね。
そういうわけで年表を作ってみました。芸能界一のエンターティナーと芸能界一地味な芸人が組んだのも縁なんでしょうね。
(細かく追記してます。なにか知っていることや、当時のインタビュー・番組で特筆すべき点があればコメント欄でお願いします)


注・山口智充の発言・番組はほとんど網羅してません。多すぎるし、別に見てもしょうがないものなので。
番組も主だったもののみにしているので、完全網羅はしていませんし、あえて書いてないものも多くあります。
私が覚えている当時のことや調べた内容が殆どですが、明らかに間違っている情報や不鮮明な話は載せていません。
一応、最後に噂などについては書いてます。ソースがない情報は基本載せていません。


1994年4月に結成し、初舞台を踏む。
就職した後にデビューしたため年齢が高め。NSCも経験してない東京吉本芸人である(同期はペナルティ・ロンブーなど)。
それだけに、関西臭が強い二人であるが(出身は二人とも関西)関西を拠点に活動していた時期はない。
平畠は2007年で東京進出14年らしく、その前の年から東京に住んでいたようだ。何故東京を拠点にしたかは不明。


「宝塚ファミリーランド」で出会う。退社は二人別々であり、お笑いの道に進むためではないとのこと。
退社後は二人でバイトをしたりする中、毎日放送主催の「素人名人会」で名人賞を獲得。
(どんな漫才なのか、そもそも漫才なのか、コンビ名がDonDokoDonかは不明)これがお笑いの道に進む切っ掛けと思われる。


銀座7丁目劇場のオーディションで合格(三角組)(注・http://www.osamushow.com/talk/017.html
ビデオにもなっている「銀座7丁目劇場」でデビュー時期は活動、渋谷公園通り劇場でもライブをしていた。
何故吉本を選んだかはオーディションで選んだ中の一つだったという。他に合格してれば他に行ったとの事。


1996年まで放送されていた「夕焼けTV編集局」にレギュラー出演。平畠いわく楽しかった番組らしく、仙台は第三の故郷らしい(第二は静岡)


ボキャブラ天国にも「めざせ君」で終わっているが出場している。この時期は劇場中心で関東でも関西でも浮いていた。
ちなみにピンネタで山口は一人で出場していた(ちなみに歌ネタで)


1999年 1月に「銀座7丁目劇場」が閉館。この頃にはイベントを自分たちでしたり、山口は新宿の路上でモノマネをしていた(コンビ芸は不明)

明石家マンション物語をきっかけに山口がブレイク(wikiいわく)、モノマネ番組を中心にピンで活動。
同時期に静岡テレビで「くさでか」がスタート。二人で出演していたが現在は平畠一人になっている。


この年の爆笑オンエアバトルで初代チャンピオンに輝く。ロボットタクシー、DJ山口、学校の先生など代表作と呼べる珠玉のネタを披露していた。
この時期から01年のM-1ファイナルまで山口が忙しくなり、その余韻でネタはもたしていた。(その結果が稽古不足のM-1酷評に繋がる)
ちなみに、00年も優勝者としてシードで選出されてるが5位に終わっている。その後、総集編放送時には二人でコメントを寄せていた。


00年エブナイがスタートするがレギュラーは山口一人だった。その後、リニューアルで平畠も追加される。
初期の段階ではレギュラートークにいない程度だったが、コントがなくなる番組終盤にはほとんど登場しなくなった。
(ただ、殆どがキャラクター名のないモブキャラ(レポーター・病人を除く)だった。むしろそういう扱いをするのが定番だったのだが)
ワンナイミュージカルでは人気投票でキャラクターを選ぶことになり、中間発表で病人が一位で驚くという回が放送された。
(その後4位ほどまで落ち、それほど出番もなかった。あくまでキャラが一人で集中+組織票ではあるが。私も投票に参加した)
しかし出番が少ないわりには結構愛されていたのではないか、と思う。DonDokoDonの現在事実上最後のレギュラーだった。(〜06年)


わらいのじかんでは二人でレギュラーとして重宝された。平畠とダウンタウンはこれ以降特にレギュラーはやっていない。
(松本とは「放送室」のカプリチョーザ杯で絡んだ。ちなみに松本の投票で優勝している)
笑わず嫌い王」にも出演し、ぐっさんしか喋らないネタをやっていたので平畠の地味さが全国区で際立ったとも言える。


01年、さんまのまんまにDonDokoDon出演。その後、ワンナイチームとしても出ているが単独の出演もしていた。
この番組で「平畠さんは必要」と発言したと言われているが、記録は残っていないので未確認である。あしからず。
(情報求む!!)


この年にはルミネにも出演しネタを披露している。この年が山口は最後だと思う(平畠は司会・企画・その他客演で出ている)
ごっつ復活スペシャルに出演。(DVD4巻に収録。「野生の王国」ただし、山口だけで平畠には特に台詞がなかった)


M-1グランプリ2001でファイナリストになるがネタを酷評される。おそらくネタを披露した最後ではないだろうか。
舞台裏でのリップクリームを塗っていた絵を覚えている人も多い。ネタでもそれを掴みネタに使っていた。
芸暦の壁はなかった(04まで出れた)が、これ以降出場することはなかった。ここでの酷評がコンビ芸に見切りをつけたのかもしれない。


02年に山口がピンでいいともレギュラーになる。
オレたちやってま〜す」の土曜レギュラーが枠改正で終了。その後、ゲストでよゐこチームに出ていた平畠は、「おしゃべりやってまーす」のレギュラーに引き継がれる。その後、レギュラー大幅入れ替えするまで出演。


03年
平畠がソロライブ「波イラズ」を開始(〜08 休止中)。いいともに宣伝で出演してゲストとして山口と絡む。(ゲストが誰か当てるコーナーだった)
ロックンローラーの衣装で出演し「この服僕も着たことあります」と山口に言われた。これが平畠のいいとも最後の出演である。



04年まではかくし芸大会にワンナイチームとして二人とも出ていた(その後、チーム自体出演せず)
大カマ騒ぎにDonDokoDonとして出演。コンビとしての出演であるが絡みなし。隣同士の席である(その後は二人とも出演せず)


平畠が「さんまのフジテレビ春の大反省会スペシャル」でFAX係を担当する。
この番組でプロデューサーにアンケートを取り、何故ぐっさんだけ使うかに「コンビだと知らなかった」と言われる。
平畠を使いたい、に二、三人スイッチを押すが特に使われなかったようだ。ちなみにこの番組が復活した時はびびる大木が担当。


新撰組!』で共演する。これが公式な番組では山口が平畠と競演し、「地味な奴だな」と絡む場面が放送されている。
平畠は『新撰組』のイベントに手紙でコメントを寄せていた。ライブでは番組の打ち上げで規模が大きいのに全員挨拶をするので驚いたとコメントしている。


さんまのまんまに同じくワンナイチームで出演、コンビに触れることも会話もなく、別に二人で絡むことはなかった。
(が、今を思うと二人が一緒に出ているというだけで貴重である)


東京MXで平畠が「ドンドコ平畠のスター大喜利」を開始(その後、枠改正で終了)好評だったのか二回のチャンピオン大会も開催。


05年、ドリームマッチでは完全に山口智充として出演。


林会長が亡くなり、多くの芸人が参列。二人は一緒にいたが平畠は耳しか写らないという悲しい状況になっていた。
当時の「おしゃ火」でよゐこの二人にその状況をツッコまれていた。ちなみに、よゐこは二人について普通にツッコむ貴重な芸人である。(→07年参照)


正月に爆笑ヒットパレードに山口がピンで出演。中堅芸人が出ている中で登場。
山口登場前
誰か「ぐっさん、悪く言う人はいないもんね」
太田「ピン芸人として出てるのはどうかと思いますが」
鶴瓶「それは言ったらあかんねん」

登場後
太田「ドンドコドンとしては出ないの?」
山口「…」
田中「そういえば平畠」
山口「平畠さんはテレビの前で見てると思います」
手を振る山口。CM突入。


おそらく、これが公式的に山口が平畠についてコメントした最後だと思われる。


06年
インターネットTV「ひかり荘」(現在は閉鎖)で平畠一人でメインで参加(掲示板の書き込みに答えるという形だった)
全てのレスに丁寧に答える面白い番組だった。この際「ぐっさんはいないんですか?」と書かれ「なんで俺がいつもぐっさんといないとあかんねん」と答える。
(誤解ないように書くと、これは憎まれ口や皮肉ではなく苦笑しながら、という調子です。全てが平ちゃんファンの人が見てたわけではないので
空気呼んで普通聞かないもんですが。私もリアルタイムで参加してましたけど、もうちょっとツッこんで聞けば良かったかも)


ますだおかだのオールナイトニッポンで「平成のうなずきトリオ」に選出される。
「僕は相方逃げられた〜」という歌の部分に「正確には僕が逃げたんですけどね」と平畠がコメント。
wikiでは働きかけた、と書かれているがこの部分に関しては詳細は不明である。おそらくこの部分をそう解釈したのだと思われる。
で、あるから平畠が活動休止を申し入れたという事実は今のところない(あるのであれば、是非ソースを提供して欲しい)


山口がピンで「徹子の部屋」や「ダウンタウンDX」に出演するがコンビを組んでいたことすら出なかった。


レギュラーを勤める縁でテレビ静岡祭りに呼ばれる。そこで「ぐっさんが静岡に帰ってきた」とVTRを見る平畠という悲しい件。


ワンナイが終了。長年レギュラーを務めた「ワンナイ」の打ち上げパーティーでは、数年振りに二人が並んで挨拶する場面があったが、山口は素で立ち位置を間違えてしまい、
雨上がり決死隊などに突っ込まれてしまう。(ラジオ「雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!」より)珍しいツーショットに、出演者やスタッフが一斉に記念の写メールを撮ったという。(まったく加筆する必要がないのでコピペ)


年末恒例の雨上がりのラジオにゲスト出演したさい、
DonDokoDonハロプロのユニットみたいなもんだから」と評される。


(外部)
「検索ちゃん」で庄司が「ぐっさん(元DonDokoDon)」と書く答えがあり一同が「元じゃない!」とつっこむ場面があった。
同番組で小池栄子が「DonDokoDonのぐっさん〜」と言うなど、本人とは反してドンドコの名は生きているようだ。


07年
年始特番にて「ひらみん」(ダジャレを言いながらマッサージをする。「てもみん」のパロディ。)くだらないエロダジャレを連発し、東野に「ぐっさんがおまえと解散した理由ようわかったわ!」と言われる。


6月、明石家さんちゃんねるに出演。ラジオで絡んでいたよゐこ有野から「コンビがどうなっているのか分からない」と尋ねられる。
そこで平畠の口から「現在在学中」と(DonDokoDonは現存中)と正式にコメントが出される。
これが平畠の口からはDonDokoDonについてコメントした最後である(08年現在まで) 番組ではDonDokoDonと書かれることが多い。


08年
3月『24時間あたためますか?〜疾風怒濤コンビニ伝〜』にチョイ役で出演。絡みはないが山口がストーリーテラーを務めている。
5-ジャンクSPORTS−元アスリート芸能人(フジテレビ系)
6-アメトーーク-地方冠番組芸人(テレビ朝日系)
(この番組で最も平畠VTRの視聴率が良かったと後日報告された(べしゃりブリン内))


やりすぎコージーにモヤモヤ芸人にじゃぴょんが出演。
同期の話題になり、「DonDokoDonのぐっさん」というじゃぴょんに「DonDokoDon言うなら平畠言ってやれ」とつっこまれる。


12-スカパーアワード事前番組「ブルーカーペット」で司会件インタビュアーを務める。有野、ナベアツなどと絡む。
「それなりに投票あったけど、一番になる程ではなかったから司会でもやれや」という事らしい。WaTと絡んだ話で松来未祐大興奮(おしゃ火)


べしゃりブリンに年末恒例のゲスト出演。
有料配信の『JUNK座談会SP』にてDonDokoDonの話題に。http://d.hatena.ne.jp/hachinohe/20090124を参照。


09年
スカパーの特番にてMCを多数行う。女性レポーターとのオフサイドトークやレフェリートークセルジオ越後、鬼武チェアマンへのインタビューなど。


アメトーーク』の「日本代表応援芸人」に出演。スカパーの土田とのエピソードを披露する。
W杯特番では鎧を着て日本代表応援団の一人として現地に乗り込む様子が放映されていた。
『ゴールドハウス』(フジテレビ)に出演。芸能人が副業に挑戦する番組。「ダジャレ親父平畠の店」でお好み焼きを焼く。焼き鳥を焼いたクロちゃんに敗れる。


12年
サッカー専門誌『サッカーダイジェスト』の選手名鑑で解説者・コメンテーターの欄で紹介される。芸人としては唯一。
Jリーグアフターゲームショーが終了、後番組の『マッチデーJリーグ』のレギュラーを務める。
フジテレビの『知りたがり!』にてローカル芸人特集にて大々的に紹介。同期の田村敦が平畠についてちょっと語る。
『お試しか!』(テレビ朝日)で日本代表応援スペシャルとしてナイナイ矢部が呼んだ助っ人として活躍。オリラジ藤森がメアドをゲットしていた。


13年
『逃走中 アルティメット』(フジテレビ)に出演。過去に逃走成功した出演者を中心に集めた構成。逃走中に出演するのは8年ぶり。
前回の結果をうけてアンガールズ・田中から「誰よりもアルティメット」と称賛される。1週目では全く登場せず、終盤になって冷凍銃でハンターを凍らせる場面でいきなり登場したため、田中から「なんにもしてなかったのに!」と文句を言われた。残り5分で確保。


さんまのまんまにぐっさんが単独出演。ドンドコについて語りヤフーニュースにもなった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130727-00000035-dal-ent

テレビやCMに活躍する「ぐっさん」ことタレント・山口智充(44)が、27日に放送された関西テレビ「さんまのまんま」で、平畠啓史と組むお笑いコンビ「Don Doko Don」の解散について語った。

 明石家さんまから、「Don Doko Donは今どうなってるの?」と聞かれた山口は、「バラバラの活動です。(2人では)やってないです」と話し、「解散はしてないの?」と確認されると、「解散ってのもビミョーなんですけど…『解散します』って言っても、どうでもええわ、って人もいるじゃないですか。『解散』って言葉はマイナス(イメージ)なんで、(あえて)言うことはないんかな、と」と明かした。

 俳優、声優、歌手として活動の幅を広げる山口。事実上の解散状態ではあるものの、あえて「解散」という言葉は使っていないことを説明した。

 ドンドコは遊園地「宝塚ファミリーランド」で働いていた山口と平畠がコンビを組み、1994年に結成。1999年に「爆笑オンエアバトルチャンピオン大会」で優勝したほか、2001年には「M‐1グランプリ」で9位を記録するなどしたが、2003年ごろから山口のソロ活動が増え、現在は活動を休止している。

現在の平畠→スカパーでのサッカー番組数本にレギュラー出演と静岡のローカル番組・ネットラジオを中心に活動。サッカー・パチンコ関係の連載も。